「…おー、ホロホロ達、来たみたいだぞ」

集合場所で適当に立ってしばらくすると、買出し組も揃って帰って来たらしく、葉が声をあげた。
それにつられて、蓮も視線を移す。

「おーっす、頼まれてたもん、めいっぱい買いこんで来たぜ!」
「まさかとは思うが…無駄遣いしてねえよな」
「してねーよ!」

いきり立つホロホロに、葉が「悪い」と笑った。
その後ろにぞろぞろと、竜と、と、リゼルグと、



―――?



何故か――リゼルグの顔色が、余り良くないように見えた。

「……」

だが誰もそれに気付いていないようで。
言い出す機会も見出せず、蓮はそのまま黙って首をかしげた。

何かあったのだろうか?

何となく、引っかかった。












宿に到着すると、一旦荷物を整理するために、それぞれが割り当てられた部屋に引っ込んだ。

簡素なベッドが並べられた部屋に入ると、蓮はどさりと荷物を降ろした。
やっと軽くなった肩をほぐしながら、視線を動かす。

黙々と荷物の整理をする、リゼルグの背が見えた。

「………」

別段変わったところは見受けられない。
やはり気のせいだったのか。

「――ねえ、蓮くん」

不意にリゼルグが口を開いた。

「…何だ」
「あのさ――」

「うぉおい! オレにばっか重たいモン持たすなよ! お前らも運べっつの!」

その時、バタンと勢い良く扉が開いて、買いこんだ荷物を山ほど抱えたホロホロが転がり込んできた。
どうやら同室メンバーはこれで全員らしい。

「……やっぱり、何でもない」

リゼルグは「ごめんね」と苦笑すると、荷物に押し潰されそうになっているホロホロの元へ行ってしまった。
あわててホロホロに謝りながら、荷物運びを手伝う。

「………」

その様子を、蓮は訝しげにじっと見つめた。





それから何だかんだと、買い込んだ荷物の整理もすることになって、幾ばくか時間が経過した頃。
コンコン、と部屋をノックする音が響いた。

「はい? どうぞ」

リゼルグが顔を上げて、呼びかける。
すると、ドアを開けて顔を出したのは隣室に竜と泊まるはずの、葉だった。

「とりあえずよ、晩メシは後にして先に風呂入っとくかって話なんだが、いいか? オイラ達のとこの荷物も、まだ整理終わってないんよ」
「おう。構わねーぜ」

ホロホロが頷く。
蓮やリゼルグもそれに倣う。

「おし、じゃあオイラはんとこにも行って来る。三人とも風呂入り終わったら、下の飯屋に集合な」
「了解」
「んじゃな」

そう言うと、葉は部屋を出て行く。
ドアが閉まる音と共に、ホロホロが振り返った。

「誰が先に風呂入る?」
「僕は最後でいいよ。二人が先に入って」
「…なら、俺が入る」
「あ! てめー、まだオレ何も言ってないだろ!」
「フン」
「ってさっさと準備して行くんじゃねー!」

ホロホロが突っ込みを入れるものの、蓮はさらりと無視して備え付けの浴室へ向かった。
背後から尚も浴びせられる主張や文句も、全く意に介さない。

「…ったく、何だよあいつ。この間からやけに捻くれてるじゃねえか」

ま、捻くれてるのは元からだけどよー、とホロホロはため息をつきながら、ベッドにばふんと突っ込んだ。
わざわざ風呂場まで行って、阻止するつもりはないらしい。
その何やら悟ったような様子に、

「うん…そうだね」

と、リゼルグが曖昧な笑みを浮かべて頷いた。





しばらくして、蓮が濡れた髪を拭きながら、浴室から出てきた。

「空いたぞ」
「おう」
「……なんだ。貴様一人か」

と、蓮は部屋を見回して言った。
さして広くもないこのルーム、いつのまにかリゼルグの姿がない。
すると、ホロホロがベッドにだらしなく寝転がりながら答えた。

「あー、んとこじゃね」
「―――そうか」

低く呟いて、蓮はそのまま興味を失ったかのように、平然とまた荷物の整理を始めた。
のっそりとホロホロが起き上がる。

「…随分淡白なんだな」
「………」
「あーあーあ。オレもんとこ行こうかなあ」

そう言いながら、密かに蓮の様子を伺う。
だが、反応は相変わらず全く無い。
ムッとしたホロホロは、更に言い募った。

「あー今から行けば、あれか。風呂上りのに会えるか。うわ、ちょっとオレまじで行って来ようかな」

半ばやけになって言い放つと、盛大なため息と共に、ようやく反応が返って来た。
しかしそれは余りにも、淡白すぎるもので。

「…好きにすれば良かろう。そんなこと、わざわざ俺に言わなくとも」

此方を振り返り、そう平気で言ってのける、その態度に。
ホロホロはとうとう切れた。

「っ、おめーなあ! 何なんだよ、一体!」
「…何、とは?」
「だからっ…なんでそんなに、平気な面してやがるんだっつってんだよ!」

気に入らなかった。
その態度も。
その口調も。

その表情も。

「………オレが前に言ったこと、気にしてんのか」

思い浮かぶのは、あの雪山の件。
だが、蓮はゆるりと首を横に振った。

「違う」
「でもよ、どう考えたってあの後からお前ッ…」
「違うと言っている」

きっぱりと言い切られ、ホロホロは口を噤んだ。

「これは紛れもない俺の意志だ。貴様なんぞの影響ではない」
「……ッ…」
「――――ただ」
「?」

それは、小さな小さな言葉。

「…あいつを、楽にしてやりたい、だけだ」

視線を背けながら。
床を見つめて。

そうして吐き出された言葉は、微かに揺らいで、消えていった。

「っ…なんだよ、それ」
「………」
「なんだよそれ」

そんなの
わけわかんねえよ

「…貴様もあいつを気に入っているんだろう。別に俺なんぞに気兼ねする必要はない」
「っふざけんな!」

オレは、オレは


 本当は


笑っている君が、一番、





「―――お前と一緒にいるあいつが、好きだったんだッ…!」





例えばそれは、恋慕と言うよりも―――――どちらかと言えば、“憧憬”に限りなく近い、



「……オレ、風呂入ってくる」

くしゃりと髪をかきあげて、ホロホロはベッドから立ち上がった。
立ち尽くす蓮の傍を通り抜けて、

「切れて悪かった」

ぶっきらぼうに告げると、浴室の扉を閉めた。





「――――……」

今のホロホロの言葉。
どういう意味、なのか。

自分と一緒にいるが、好きだった――?

「…それはつまり、気に入っていたということでは、ないのか」

…わからない。

何だろう。
この、歯痒さ。
もどかしさ。
釈然としない、居心地の悪さ。

…結局わからないことばかりじゃないか。

蓮は小さく舌打ちをすると、再び荷物へと手を伸ばした。





ガチャリ

しばらくすると部屋の扉が開いて、リゼルグが帰って来た。

「ホロホロくんは? …お風呂?」
「ああ。……貴様こそ、何処に行ってたんだ」
「散歩」

リゼルグの顔を、蓮はしばし見つめたあと、「そうか」と視線をそらした。
そのうち、ホロホロも浴室から出てきた。

「あーすっきりした…って、おう、リゼルグ帰って来てたのか」
「うん」
「ほほう…ならばの風呂上りは見れたのかね」
「へ…な、ななな何言ってるんだよホロホロくん! 僕は別にそんな…って言うか、散歩に行ってきただけだってば」
「散歩? ひとりでか?」
「そうだよ…もう」

変なこと言わないでよ、とリゼルグはため息をついた。顔が赤い。
ホロホロは、少しの間その姿を疑わしげに見ていたが、すぐに思いなおすと、

「わりいわりい。…んじゃオレ、先に下行ってるわ」
「え? でも、まだ時間早いよ?」
「いーの。オレも一人で散歩でもして、ちょっと黄昏てくるわー」
「あ、ホロホロくん…」

だが彼は手をひらひらと振ると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
その背を見送った後、戸惑いながら、リゼルグは尋ねる。

「蓮くん…ホロホロくん、何か、あったの?」
「…さあな」
「………」

蓮は素っ気無い返答をするが、リゼルグは口を噤んだまま、閉まった扉を見つめた。










ロビーに着くと、そこには既に見慣れた姿があった。

「あれ…!」
「あ、ホロホロ…」

シャワーを浴びたからだろうか、幾分かすっきりした顔のがいた。

「何だ、お前も随分早いな」
「うん。…だって、部屋、ひとりしかいないから」

でも、ちょっとはやく来すぎちゃった、かも。
そう照れたように言うに、「…ま、そりゃ一人じゃつまんねえよな」とホロホロも苦笑して頷いた。
間近まで近付くと、ふわりと香る仄かな石鹸の匂い。

ホロホロは、の頭を、わしゃわしゃと聊か乱暴に撫でた。

「っわ…」
「―――髪、ちゃんと乾かしたか?」
「か、かわかしたっ…」
「そっか」

と、笑いながら手を離した彼を、は髪を直しながら、不思議そうに見つめた。

「ホロホロ…どうか、した?」
「何でもねえよ」

ホロホロは、ぽんぽん、との頭を軽く叩くと、

「…じゃ、あいつらが来るまでの時間、一緒に散歩でもしよーぜ」
「さんぽ?」
「おう。つってもこの近辺を、適当にぶらぶらするだけだけどな」

湯冷めしない程度にさ、との提案に。

「…うん」

はしばらく思案した後、嬉しそうに頷いた。

「―――何か、久々だなあ。二人になるの」
「そうかも」

外に出ると、もうすっかり昏くなっていた。
昼間よりも幾分か冷えた夜風が、シャワーで火照った肌に丁度良い。

「あ、でもそうでもねえな」
「え?」
「ホラあん時……雪山で、お前がぶっ倒れた時」

が遠慮がちな声音で「…そう、だね」と呟いた。

「あの時はよー、メッチャびびったんだぜ? 何せ隣にいた筈なのによ、気付いたらいねえんだもん」
「…ご、ごめんなさい」
「しかも、その後気絶したお前を背負って山道を…ったく、弛緩しきった人間の重さ舐めんな!」
「う、え…あ…ごっごめんなさ」

突如声を荒げたホロホロに、おろおろしながら、それでもあの時の申し訳なさで一杯になって頭を下げると――

「ばーか。何泣きそうな顔してんだよ」
「え…?」

びっくりして彼の顔を見上げると。
ニヤニヤと意地の悪そうな笑みが視界に映った。

「今のは『わたしそんなに重くない!』って逆に怒るトコだぞ。女は」
「え…そ、そうなの…?」
「じゃねえの。ピリカなら幾ら大泣きしてても、その一言で『お兄ちゃんのばかぁ!』つってビンタ飛んでくるぞ。…まあ、今のはオレの言い方も悪かったけどよ。安心しろ、言うほどお前は重たくねえよ。オレ鍛えてるし」

ぽかん、とはホロホロの顔を見つめる。
…どうしたんだろう。ホロホロ。

そうしていると、「あんまこっち見んな」と、顔を無理矢理前に向かされてしまった。
仕方が無いので前方の街道を見つめながら、は隣の様子を窺う。
はあ、と大きなため息が聞こえた。

「…自分的にはどんなにデカイ失敗でもよ。それを茶化してくれる奴がいれば、少しは心も軽くなるんだよ」
「……そうなの?」
「っそうなんだっての! てか、お前は何でもかんでも深刻に受け止め過ぎなんだよ! もう少し軽く生きてみろ。このオレみたいに」

得意げに、くいと胸を張るホロホロ。
…得意げというか何と言うか、むしろ偉そうにも見える。

「…なに、それ」

とうとう堪えきれずに、はぷっと吹き出した。
それを見て、「ようやく笑いやがったなお前」と、ホロホロも一緒になって笑った。

「やっぱ、お前が笑ってる方がいーや」
「……?」
「ああ、気にすんな。こっちの話」

またしてもぐしゃぐしゃに頭を撫でられる。
でも――でも、今度はそんなに、嫌じゃなかった。

(ああ、ほんとうだ)
(確かに少しだけ、心に、羽根が生えたみたい)











何となく部屋には、気まずい沈黙が漂っていた。

「…じゃ、僕。シャワー浴びてくるね」
「ああ」
「蓮くんはまだ下には行かない?」
「間に合えば良いのだろう。まだ時間には余裕がある。…貴様もさっきそう言っていたではないか」
「あ…そっか。うん、そうだね」

どことなく歯切れの悪いリゼルグの返答。
だが蓮は、敢えて黙殺してベッドに深く沈みこんだ。
そこへ。

「…あ、蓮くん。これ」
「?」

不意にリゼルグが何かを放り投げた。
蓮は振り返りざま、思わずそれをキャッチする。
何だろうと手のひらを開いてみると、そこには、銀紙に包まれたチョコレート一つ。

「…なんだこれは」
「チョコだよ。あげる」
「それぐらいはわかる。だからどうして、」
「……それね。が、好きなんだって」

「―――」

ああ、まただ。
どうして今日はこんなにも、彼女の名前を耳にする回数が多いのだろう。
葉といい、ホロホロといい、……リゼルグといい。

「…だから、どうした」
「美味しいって言ってたんだ」
「っだからそれが、」

とうとう起き上がった蓮を横目に、リゼルグは構わず話を続けた。

「今日一緒に買い物に行った時なんだけどね。…やっぱり彼女も、何だかんだ言って普通の女の子なんだね。
 可愛い物とか綺麗な物を見ると、別に物欲しそうな感じじゃないんだけど、無意識に目で追ってるんだ。お菓子とかも、そう。でも僕が欲しいのって訊くと、きょとんとした顔で『どうして?』って訊き返すんだ。…自分では気付いてないんだね、きっと」

何なんだ。
本当に、どうしたと言うのだ。

蓮は、ただ唖然とリゼルグを見つめていた。
彼が何を考えているのか、全くわからない。意図が掴めない。
その間にも、どんどん彼の話は進んでいく。

「彼女はコーヒーが、苦手って訳じゃないんだろうけど、そんなに得意じゃないみたいだね。飲む度いつも恐々口をつけるんだ。あとだからかな、逆に甘いものは好きみたいだ。まあこの国のお菓子も結構独特な甘味だから、実際日本の菓子はどうなのかわからないけど。
 ――あ、そうそう、動物も好きなんだって。日本にいた頃、民家の屋根で昼寝してる猫を見て、自分も眠くなっちゃったことがあるらしいよ。その猫を日がな一日中眺め続けてたこともあるらしい。気付いたら夕方だったんだって。何か、らしいよね。
 歌を聴くのも好きみたい。やっぱり彼女自身歌う人だからかな。お店の中とかで曲がかかると、よく耳を傾けているんだ。歌手自体は余り知らないみたいだけどね」

「…っな、何なんだリゼルグ、いきなり…何が言いたいんだ!」

やっと蓮は口を挟む。
だがその時――初めて、リゼルグの瞳に宿る何かに気付いた。
それはひどく複雑そうに歪んでいて。

「…ねえ、蓮くん。君は今の話、どれか一つでも知ってた? 彼女が何を好きで、何を嫌いなのか…知ってる?」
「な、何を」

「…どうして」



日本での暮らし。
そこで感じたこと。
学んだこと。
彼女はとても懐かしそうに、話してくれた。
その中には――勿論、その時一緒に暮らしていた少年の名前だけでなく、話も、少なからず出てきた。
その度に彼女は、少しだけ、躊躇いながらも。少しだけ、目を伏せながらも。

それでもはにかみながら、嬉しそうに。

君の名前を、口にしたんだ。




「―――どうして彼女にあんな顔をさせるのが、君なんだろう」
「…な」
「君は、知ってる? が今の話をするとき、どういう顔をして話していたのか」

今貴女の心に居るのは誰ですか誰ですか

(それはきっと…、)

「君の事を話す時、がどんな顔で話していたのか――君は、知ってた…?」












□■□












建物の周りをぐるりと一周したあと、ホロホロとの二人は宿へと戻ってきた。

「結構賑わってたな」
「ね」

そう会話をしながら、ふとがロビーに佇む二つの影に気付く。

「あ、葉と竜さんだ」
「おーホントだ。あいつらも風呂終わったんだな。…おーい葉、竜!」

ホロホロの呼びかけに、二人が此方を振り向いた。
葉が手を挙げる。

「おお、何だ二人とも。外に行ってたんか」
「うん。ホロホロと、さんぽ、行ってきたの」
「そりゃ良かったなあ」

と、葉がの頭を撫でる。
しばしくすぐったそうには目を瞑っていたが、

「…あれ。リゼルグと、蓮は…?」
「あ、そうだそうだ。まだあいつら来てねーのか?」

ホロホロも気付いて、きょろきょろと周囲を見回す。
すると、

「まだ来てねえみたいだぜ。ねえダンナ」
「おう。オイラ達もまだ見てねえもんな」

竜と葉も、顔を見合わせて頷く。
何とはなしに、全員の視線が時計に向かった。

「…ちっと遅いな」
「呼びに行くか?」

「―――あ……それなら」

と、手をおそるおそる挙げたのは。

「わたし…行っても、いい…?」

だった。
一瞬しんと静まる男衆。
それもその筈、何故ならその呼びに行かねばならない二人の内に、

蓮が、いるから。

最近の彼らの微妙な空気を、さすがに全く知らぬ者はこの中にはいなかった。

「…い、いいのか…?」

葉もに負けないくらい、おそるおそる言葉を紡ぐ。
他の二人も心配そうに、或いは怪訝そうに注目する中。
は、こくんとうなずいた。

「うん。…わたし、いく」



「―――わかった。頼んだぞ」
「うんっ…」

葉の言葉に、はひとつ頷くと、さっそく階段の方まで駆けて行った。
足音が徐々に遠ざかっていく。
その後姿を、何とも言えない表情で三人が見送った。

「…いいのかよ。葉」
「……がそう言ったんだ。大丈夫さ」

『ねえ、葉………恋、って…なに?』

「たぶん……なりに、色々、考えてるんよ」










嗚呼、苛々する。
今日何度目だ。
あの名前を耳にするのは。

誰もがあいつの名を言う。
――俺に向かって。

「…知るか」

「……!」

するりと口から滑り出してきた言葉は。
予想以上に―――冷たくて。
リゼルグの息を呑む気配がわかった。


――――嗚呼。本当に。

ここ数日の間に溜まっていたものが。
今、一気に爆発した。



「っ…いい加減にしてくれ!」



あいつがどんな顔したなど…俺の話をしたかなど。

「そんなものに…興味など、ない!」

何故貴様らは、わざわざ俺に言うんだ。
何故貴様らはそうやって、

何故、何故。

この“俺”に。
赤の他人である俺に言うんだ。

「俺が日本であいつを拾ったのは、単なる偶然だ! 紛れもない、ただの偶然なんだぞ! それ以外でもそれ以上でもない!」

そうだ。
シルバも言っていたではないか。
単なる偶然だと。
俺があいつに出逢ったのは――たまたま、なんだと。

それなのに。

「蓮くんは――」
「黙れ!」

もううんざりだった。
折角、決心したのに。
折角、己の納得できる道を見つけたと思ったのに。

あいつの負担を減らしたかった、ただそれだけなのに

『すきなんだろ?』

違う。
違う。
違う違う違う違う。

それは貴様らのことだろう。
俺ではない。

「だけどっ…君は」

リゼルグが、それでも必死で言い返そうとする。

ならば、言ってやろう。
はっきりと。



どこかで理性が悲鳴をあげた。





「俺はあいつの事など………何とも思っちゃいないっ!」





もう、放っておいてくれ。










――――キィ

不意に響き渡った物音に、ハッとリゼルグも蓮も我にかえる。
そして、音を立てた部屋の扉に、ゆっくりと目をやって。

そこで蒼白な顔で立ち尽くしていたのは―――紛れもない、だった。

一瞬で蓮の感情が冷却される。
ばらばらになった理性が瞬時にかき集められる。

―――聞いて………いた、のか…?

が小さく呟く。

「…ぁ……わ、わたし…あの……呼び、に…」

だがその言葉も、徐々に尻すぼみになって、最後は結局消えていった。

耳が痛いほどの沈黙。
誰も喋らない。
誰も動かない。
ただ、ピンと張り詰めた空気がこの部屋を支配していた。

やがてその空気を破ったのは――――だった。

「…っ……」

瞬く間に身を翻し、ぱたぱたと廊下を駆けていく。

っ…!」

慌ててリゼルグが呼びかけるが、無論のことそれは届かない。
一瞬だけ蓮を見つめて。

リゼルグもを追って、部屋を飛び出して行った。



「………」

残された蓮は、ただ。
呆然とその成り行きを、眺めていた。